平和とは、戦争とは、

 前回のブログで、「すいません」という言葉から物事を考えてみることを試みました。「すいません」という言葉は、最高に「非好戦的」な言葉だと思っています。見方を変えれば、「弱者」の思想かもしれません。事を始める前から、「すいません」と言うのですから。
67年前まで戦争をしていた日本、67年前の8月6日広島に原爆が投下され、9日には長崎に原爆が投下されました。そして、8月15日は終戦の日。
少し、個人的な話ですが、西澤の(異母)兄は、67年前の8月14日に大阪で戦死しました。そう、終戦の前日です。終戦日以降にも、シベリア抑留で亡くなった人、戦場などから日本に引き上げるまでに亡くなった人々、病気や怪我で亡くなった人々など、そして戦場となった国々の民間人や日本軍と戦った兵士も多く命を失っていることを忘れてはいけません。死にたくはなかったでしょう。
私たちは、多くの犠牲のもとに平和の尊さに気づきました。戦後の日本は、一貫して戦争に加担しないことを国是として、これまで経済的な反映を享受してきました。そして、日本はアジアやアフリカなど強国ではない国々から、厚い信頼を得てきました。その信頼の根本は、「すみません」の精神ではないかと思うのです。
われわれの主張は正しい。正義は悪に勝つ。相手の言いなりにはならない。こうした自己主張から一歩退いて、「すみませんが・・・」と頭を下げながら登場する日本を、強国は「くみ易い」「なぜ自己主張しない」などと不思議がる、不思議の国日本。物事を決められない政治(日本)、という批判はありますが、唯我独尊とならないためにはあえてその批判に甘んじながらも、「自己主張を控える」選択肢もあっていいように思います。争いは、自己主張のぶつかり合いという側面もありますから。
二度と戦争を起こさない。8月は、その思いを特に強く持ち、いろんなことを考えます。

 7月12日(木) 8時30分、内部協議2件。
10時、電機連合滋賀地方協議会から東近江市発達支援センターへ遊具等の「愛のカンパ」寄贈品の贈呈式。継続してご寄付をいただいています。

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10時45分、市内私立保育園の理事長と面談。
11時30分、滋賀労働局局長と東近江ハローワーク所長と面談
午後2時、東近江市農業農村整備推進協議会総会に出席。

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午後4時過ぎから、内部協議2件。
午後5時、滋賀医科大学の峠田准教授他と面談。
午後7時30分、蒲生まちづくり会議に出席。

 7月13日(金) 8時30分から、部長会議。引き続いて午前中に内部協議を4件。
午後1時30分から、東近江行政組合管理者会議。続いて東近江行政組合の臨時議会。
午後4時から、内部協議1件。
午後7時、会長を務める東近江地域勤労者互助会の納涼パーティーで開会挨拶。
午後7時30分、東近江市民大学を聴講。講師は養老孟司氏でした。

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 7月14日(土) 10時30分、市内事業者の創立30周年と新物流倉庫竣工記念式典で挨拶。大規模な物流倉庫を見させていただきました。
12時30分、河辺いきものの森の活動視察。

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 7月15日(日) 公務なし

 7月16日(月・海の日) 10時から、惟喬親王祭に出席。第1部は、蛭谷町の筒井御陵で式典があり挨拶をしました。引き続き木地師やまの子の家に場所を移して、木地師の記録映画の上映と講演が行われました。惟喬親王は、天皇の第1皇子でありながら、皇位継承に敗れてこの地に隠遁し、村人らにろくろ技術を教えたことから、木地師の祖神として崇められています。そして、今も全国で活躍される木地師の皆さんは、ここを聖地として、この日も日本各地から参加されていました。

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 7月17日(火) 7時55分米原駅発の新幹線で10時10分東京駅着。
11時、都内ホテルで福祉自治体ユニットの役員会に出席。
午後1時から、福祉自治体ユニットと地域ケア政策ネットワークの合同総会。続いて、講演会と交流会に参加。

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